習慣化のラスボス登場:家を片づける(宣言)。
自分は究極の三日坊主だと長年信じていたのですが、ここ数年で少し変わってきました。
まず、42歳から英語の勉強をやり直し、毎日少しでも英語に触れるということは続いています。
そしてダイエット&筋トレ。
3ヵ月間継続し、まだまだ発展途上でゆるゆるな面も多々あり、めんどくさいなと感じる日もありますが、とりあえず苦にはならないようになりました。
この2つが、なぜ習慣化できたのかなと考えると、
1. 大ピンチだった。
英語を勉強し始めたきっかけとしては、バイト先の店がつぶれて「シングルマザーとして何の得意分野もなくどうやって生きていけばよいのだろう」と途方に暮れて一念発起することができました。
筋トレを始める前は、歯医者さんに「入れ歯になるかも(1本ですけど)」と言われたりして、ああもう私の体は、衰えていく一方なのか…と悲しみに暮れました。
2. ひとりでできる。
言うまでもなく英語の教材はネット上にも山ほどありますし、自宅で自重トレーニングをやる分には「やろう」と思った2秒後には始められます。
3. メリットしかない。
英語を身につけたり、筋肉をつけたりしても失うものは何もなく、いいことしかありません。(もちろんダイエットや筋トレは、極端な、逆に体に悪いようなやり方をしなければの話ですが)
そんなわけで、「習慣化」ということに対する苦手意識はここ数年でずいぶん薄れたのですが、
いま、私が新たに習慣化しようとしてプルプル震えているのが、「片づけ」です。
ふつうにできる人にとっては、「なんだそんなこと?英語の方がよっぽど難しいのに」、そんな風に感じるかもしれないのですが。
とにかく、片づけられない人生を送ってきました。
(『人間失格』風に)
片づけを難しく感じるのは、
1.主観的なものである。
(家が散らかっていても家族みんな無事に生きてるしいいや。とか思えないこともない)
2.ひとりだけの問題ではない。
(いくら自分が片づけても家族が散らかす、貰い物が多い、さらには子供たちにも片づけの習慣をつけさせねばとか気負ってしまう)
3.捨てるものがたくさん。
(いくら捨てた方がスッキリする、そのぶん気持ちいい生活が手に入るとわかっていても、使える物や子供たちの作品などを捨てるのは抵抗感がある)
4.失敗体験が多すぎる。
(学生時代に得意だった英語、真っ白なキャンバスのようにまったく初体験だった筋トレと違い、半年にいっぺんくらい必死で家中をキレイにしては一週間で元通りという苦い体験を何年も続けている)
などの要因が考えられます。
「苦手なことはやらない。外注する」という考え方も大アリだと思います。
(小田桐あさぎさんの『嫌なこと全部やめたらすごかった』という本は参考になりました)
でも、「片づけられる人になる」という憧れがまだあるので、トライしたい。
このような個人的な日記なのに、読んでくれる方がいてほんとにありがたいです。
そのおかげで筋トレも張り合いが出て続けることができた。と思っておりまして、
片づけに関しても若干及び腰ですが、宣言してみた次第です。
ところで「ラスボス」って若者言葉だと思うんですけど、いっぺん使ってみたかった。
使ってみたい若者言葉としてはほかに「ワンチャン」と「勝ち確」があります。